-西武ライオンズ

2009年8月アーカイブ


☆NEWERAより、埼玉西武ライオンズのキャップ!!【NEW ERA-ニューエラ】『埼玉西武ライオンズ...

 

涌井秀章は、最速150キロを記録する投手です。千葉県出身の22歳で、185cm85㎏。背番号は入団以来、松沼・潮崎の付けていた16でしたが、2009年から18に変わりました。

横浜高校1年の春から甲子園に出場し、松坂2世と呼ばれていました。2年時の夏の甲子園では、延長戦にもつれ込んだ2回戦の京都外大西戦で、肉体的・精神的なスタミナの強さを披露しました。準々決勝で覇者の駒大苫小牧に完敗しましたが、秋の国体では駒大戦で14三振を奪って完投勝利、優勝を手にしました。松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、涌井のことを「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と賞賛していて、本人もインタビューの際に、「高校時代の練習が厳しすぎたせいか、プロに入ってから練習がキツイと思ったことはない」と答えています。

松坂も甲子園で147キロの球を投げている彼を見て、「相当な努力をしたと思う」と評価し、認めています。西武には、2004年にドラフト単独1位指名で入団しました。入団時から期待され、開幕一軍入りを果たします。2005年6月のヤクルト戦でプロ初勝利、2006年6月にはリーグ1位の防御率、3勝1敗で初の月間MVPを獲得します。また、この年に監督推薦でオールスターにも初出場しました。

2007年では北京オリンピック出場をかけたアジア予選決勝リーグの日本代表メンバーに、ダルビッシュと共に最年少で選ばれました。初戦の先発を任され、フィリピンを相手に6回1安打無失点に抑えました。

翌年には北京オリンピックの代表選手に選ばれましたが、昨年ほどの制球力はなく、2ケタ勝利を達成しましたが負けてしまいました。しかし、クライマックスシリーズの第5戦では3安打無死球完封勝利を成し遂げ、MVPに輝き、胴上げ投手となりました。


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中村剛也は、「おかわり君」「サンペイ」で親しまれる内野手です。大阪出身の25歳で、身長175cm体重102㎏。背番号は60です。大阪桐蔭高校出身で、当時は4番打者として活躍しました。高校時代の通算本塁打は83本で、中田翔、大島裕行に次いで3位。ライオンズへは2001年に入団しました。

力任せではない柔軟なバットコントロールが高い評価を受けており、長打力が持ち味です。見かけによらず俊足で、コーチから「走塁のセンスは非常にずば抜けている。走塁に興味を持てば球界を代表する選手となる。」と評価され、実際に2008年にはその走塁センスを発揮しました。

「おかわり君」というあだ名は、好きな言葉が「おかわり」であることから呼ばれるようになり、ホームランを打った際にはファンやテレビのニュースなどからも「おかわりホームラン」などと言われています。

非常に愛嬌のある性格で、松坂のメジャー移籍によるチーム人気の低下を防ぐため、「チームの顔がいなくなるので、来年は面白い事をします。」と公言し、女性ファンはイケメン選手に任せ、自分はキャラクター性を生かして主婦層をターゲットにファンを集めると宣言しました。

とにかくよく食べる選手で、チームメイトいわく、カレーを3口で平らげるほどのスピードで食べ、これについて本人は「カレーは飲み物ですから。」と語りました。また、試合中にこめかみにボールが当たり骨折をした際、口が開けられず、「ごはんどうしよう」と何よりも一番先にごはんの心配をしたそうです。

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片岡易之は、盗塁が持ち味の内野手です。千葉県出身の25歳で、身長176cm体重82㎏。背番号は7です。3人兄弟の末っ子で、中学3年の時に自身が所属する千葉北シニアリーグで、主将としてチームを全国大会に導きました。

中学卒業後は、2人の兄と同じ栃木県の宇都宮学園高校に進学し、「片岡3兄弟」として活躍し、有名になりました。高校3年の時には、自らのサヨナラヒットで甲子園へ出場しましたが、2回戦敗退という結果に終わりました。

卒業後は東京ガスに入社し、3年後の2004年にドラフト3巡目で入団しました。2005年5月1日に9番2塁手として初めてスタメン出場し、1年目から一軍に定着して81試合に出場。4本塁打、6盗塁と結果を残しました。

2006年の5月からは2塁手のレギュラーとなり、8月からは中島裕之の故障により遊撃手に回りました。2007年には38盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを獲得します。2008年には1番打者に定着し、初めてオールスターゲームに出場。盗塁は前年から12個増やした50盗塁を記録し、2年連続の盗塁王となります。

日本シリーズでは7試合5盗塁と大活躍し、優勝に貢献しました。走攻守3拍子揃ったプレーが特徴で、バントなどの小技を無難にこなす器用な選手です。また、チームのムードメーカーで、お立ち台でインタビューを受ける時はスパイダーマンのマスクをかぶったり、ヘリウムガス吸ってから答えたりと、ファンサービスには人一倍力を入れているひょうきんな性格です。本名は易之ではなく保幸ですが、東京ガスに入社後、ケガが多かったため登録名を易之に変更しました。

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埼玉西武ライオンズは、埼玉県所沢市を本拠地とする日本のプロ野球球団です。2008年は21回目のパシフィックリーグ優勝と3回目のプレーオフ優勝、13回目の日本シリーズ優勝、そして初のアジアシリーズ優勝と、輝かしい成績を収めました。

球団創立60周年を迎える2009年は、チームカラーがブルーから紺に変更され、ユニホームも新しくなりました。胸にはライオンズのLマークが入っていて、キャップのマークもLのロゴ変わりました。また、内側にもこだわっていて、襟首の裏には日本一の回数と同じ13個の星、胸部分の襟には「Ibelievelions」のエンブレムが入っています。このユニホームが着用されるのは、シーズン開幕からだそうです。

最初の日本シリーズ優勝は、福岡を本拠地としていた三原監督時代の1956年で、1957・58年にも優勝し、3連覇を達成しました。4度目の優勝はそれから24年後の1982年広岡監督時代。翌年も序盤から首位を独走し、日本シリーズでも歴史に残る読売ジャイアンツとの大激戦の末、2年連続優勝しました。

清原和博がドラフト1位で入団した森監督時代の1986年から1994年は、6度の日本一を達成し、「常勝西武」と呼ばれ、黄金時代を築きます。その後、松坂人気などもあり、世間の注目を集めて観客動員数やテレビ中継は増加しますが、日本シリーズ優勝には届きません。伊東監督時代の2004年にようやく12年ぶりの優勝を果たし、そして2008年、渡辺監督などのコーチ陣を一新した結果、打撃力が大幅にアップし、4年ぶりの日本一に輝きました。

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埼玉西武ライオンズの涌井秀章(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズの中村剛也(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズの片岡易之(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズ(2009年8月15日)
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埼玉西武ライオンズの涌井秀章(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズの中村剛也(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズの片岡易之(2009年8月15日)
埼玉西武ライオンズ(2009年8月15日)